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名古屋高等裁判所金沢支部 昭和41年(う)64号 判決 1967年12月05日

被告人 岡田正治

主文

原判決を破棄する。

被告人は無罪。

理由

本件控訴の趣意は、被告人及び弁護人志鷹啓一、同島崎良夫の各控訴趣意書に記載されている通りであるから、これを引用する。

一、弁護人志鷹啓一の控訴趣意二、弁護人島崎良夫の控訴趣意第三の(二)、被告人の控訴趣意第四の一から七、二五、について

所論は要するに、被告人は原判示第一の如く、その運転する大型貨物自動車で被害者岩田澄子を轢いたことはないのであるが、仮に、このような事実があつたとしても、被告人は、そのことを全然認識しなかつた、被告人は勾留質問調書、司法警察員及び検察官に対する各供述調書、昭和四〇年一月二八日附実況見分調書における指示説明中において、右認識があつた旨自白しているけれども、これは当時被告人の取調に当つた警察官、特に浜屋裕次郎の強制誘導によつて虚偽の自白を余儀なくされ、裁判官の勾留質問、検察官の取調に当つても、右浜屋警察官の指示によつて右自白を維持したものであつて、任意性を欠き、又内容も真実に反し、証明力をも欠くものである、と言うのである。

そこで記録を調べ、当審において為した事実取調の結果を参酌して考察すると、本件において原判示の如く被害者が被告人の運転する貨物自動車に轢かれその結果死亡した事実は疑いを入れないところであるけれども、右事故を被告人において認識していた旨の同人の前記各自白は左記理由により任意性を欠き、且つ証明力に乏しいものと認めざるを得ない。

(一)  原審第一四回公判(記録一、二三九丁裏から一、三〇〇丁)及び当審第四回、第五回公判における被告人の供述の要旨は、次の通りである。即ち昭和四〇年一月二〇日被告人が本件により逮捕されてから、裁判官の勾留質問を受けた同月二三日まで、被告人は警察官(主として浜屋裕次郎)の取調に対して、飽くまで本件犯行を否認し、その旨の調書が作成されたが(もつとも被告人は、本件の外形的事実は当初から認めており、同人が否認し続けたのは右事故を認識していた事実であつて、被告人は、この点を混同している、後述の浜屋裕次郎も原審及び当審における証言において、同様の混同を犯している)、その間警察官浜屋裕次郎は執拗に被告人に対して自白を強要し、当初は被告人並に被害者の雇傭主である倉畑継治と被告人、被害者間に痴情の三角関係があり、その結果被害者を故意に轢殺したのではないかとの嫌疑さえかけられた。同月二三日朝の右浜屋の取調は特に峻烈で、同人は取調室へ入って来るなり、土間に寝転んで「お前は、こういう風にして轢いたんだ」と手で胸をなでて大声で怒鳴り、被告人が注視しないでいると、「これ、見んか」と被告人の足を蹴り、「日本一の金沢大学の井上博士の鑑定の結果も、お前の車と一致しているから、お前の車が轢いたに違いない、又お前が轢いているところを見た証人もいる」などと虚偽の事実を述べて非常な権幕で叱りつけた。又一転して「よく調べて見たら、お前は昨日までは、よく知っておつて轢いたと思つて調べたがお前は知らずに轢いて行つたんだ、そういうものは過失と言つて罪が軽い、心配するな」と優しい態度になり、被告人が「それでは自分は被害者を一体どこで追い越したのか」と訊ねると、今度は「そんなものはお前、知つているか」と言つて机を叩いたり、被告人を蹴つたり、「この耳で聞いたやろう」と言つて被告人の耳を引つ張り、本当にこれは殺されるのではないかと思つた。このような脅迫、甘言による誘導に加えて、当時被告人は烈しい頭痛に悩まされていた為遂に屈服して、右浜屋の言う通りに従つた。同人は「昼から裁判所へ行くけれども、お前、現場附近で声を聞いてラジオを切つて、戸を明けて耳で聞いて見たけれども何でもなかつたと言えば、大抵家へ帰れるわ」と言い、その調子で調書を作成し、読み聞かされ、裁判所に行つて、裁判官の勾留質問に対して右浜屋に言われた通りの事実を認めた。然し勾留質問から帰つても警察では約束に反し被告人を釈放してくれず、被告人は、これに抗議し、その後の取調には前の自白を翻したが右浜屋は、「裁判所で認めて来たのであるから、そんな訳には行かない」と言つて取上げてくれなかつたので被告人も遂に諦めて、もはや抵抗しなかつた。そして右浜屋から、検察官の所でも警察で言つた通りに言うのが身の為であると言われた上、被告人が検察官に、警察官に述べたことは事実と相異する旨述べたところ、検察官は、「警察で認めていて、ここへ来て何だ」と言うので結局警察で述べた通りの供述をせざるを得なかつた。然し被告人は、本件当時車内のラジオのスイツチを入れておらず、本件現場附近で女の悲鳴を聞いたり、それと同時に車にシヨツクを感じたり、その為人を轢いたのではないかと思つて、運転台横のガラスを下へ降し、外に耳を傾けた如き事実は全くない、と言うのである。

(二)  これに対して浜屋裕次郎は原審(一〇七二丁裏から一一〇五丁)及び当審における証言において、被告人の述べている如く同人に対して強制、甘言による誘導により自白を引き出した事実は全くないと否定している。

然し原審における証言においては、被告人が勾留質問に行く日の朝、取調が始まる前頃でなかつたかと思うが、被告人は、本件当日現場附近に来た時、シヨツクを感じ、アツとか何とか言う女のような声を聞いたので、「ああ、やつたんぢやないか」と思つて、車内のラジオを切って右の窓ガラスを半分開けて、耳を当てて聞いた旨を涙を流して述べた、それまでは否認していたと思う(一〇七三丁から一〇八一丁)、最初は主として痴情関係による殺人でないかということで捜査したと聞いている(一〇七七丁裏)、勾留質問に行つた一月二三日の朝調べ室の床に横になって被告人に説明した事実はある、然し右調べ室は板張りの床であるが、スリツパで出入りするところで毎日掃除しているから服が汚れることはない(一〇八五丁裏、一一〇五丁表、裏)、同日朝の取調の際、被告人に対して、井上博士の鑑定書が出来ていて、それによれば被害者を轢いた車が被告人の車と一致すると言つたか、どうか、又被告人の車が被害者を轢いたのを目撃した証人がいると言つたか、どうか、はつきり覚えていない(一〇八七丁、表裏)以上の通り述べている。右浜屋は当審における証言においては、被告人が勾留質問に行くまでには、被害者を轢いたことを認識した旨の自白調書は作成しなかつたと思う、勾留質問から帰つて来て、裁判官に正直に事実を述べて来たと言つたと思う、被告人がそれまで否認していたのに何故勾留質問で自白するに至つたかについては、被告人は、「警察の取調べ後よく考えて、真実を述べる気になつた、勾留質問に出かける直前まで警察で取調を受けたわけでないので、浜屋に言おうと思つていたが裁判所へ行つて裁判官に話して来た」旨述べたように思う、勾留質問で被告人が自白した後、一月二七日まで被告人の自白調書を作成しなかつたのは、警察は組織体であるから、被告人の自供があれば一々上司に報告し、その指示を待つ訳で、その関係からである、以上の通り述べている。

(三)  被告人の司法警察員調書、勾留質問調書、検察官調書における各供述の経過を検討して見ると、被告人が本件によつて逮捕された当日である一月二〇日附の司法警察員浜屋裕次郎に対する供述調書においては、「そのように被害者を轢き殺したのは私だと思うが、今のところ、その時被害者の姿を見たとか、或いは声を聞いたとか、又は人を轢いた衝撃を感じたと言う記憶がどうしても思い出せない」旨述べ、その末尾に「以上の通りで、よく考えて見ます」と附言している。同日附の右浜屋に対する弁解録取書においても、「被害者をトラツクで轢いたのでないかと思うが、被害者を、その時見たり、声を聞いたり、又は人を轢いたようなことが覚えがないのです。だからよく考えて見ます」と述べている(なお右二通の調書は当審において提出、取調べられたものである)。一月二二日附の右浜屋に対する供述調書においては、「ブナ材の枕木一九九本を積んで大浦地内の県道を進行中交通事故を起し、事務所で働いていた被害者を轢き、同女は死んでしまつたが、そのことにつき覚えがあるか、どうかについては、もう少し考えさせて下さい、以上の通りでもう少し考えさせて下さい」と述べ(一、一一二丁裏、一、一一三丁)、同日附の検察官に対する弁解録取書においても「犯罪事実は、その通りであるが、その時は気が付かなかつた」旨述べ(一、三〇五丁)、一月二三日附の裁判官の勾留質問調書において初めて「私は事故現場附近で、車体にバウンドするようなシヨツクを感じ、同時に女の声のようなものを聞いたので、当時かけていたラジオを止め、硝子窓を開けて外を確かめたが、何もないようだつたので、そのまま運転を続けたのだが、よく考えて見ると、その時の人声は本当に人の声だと気付いたし、私が被害者を殺したものと思う」旨自白している(一、一四四丁裏)。それから一月二七日まで調書はなく、同日附の右浜屋に対する供述調書において「時速一五粁位で車を先へ進ませ、進行方向の道路右側にある消防器具置場や火の見やぐらの前の広い道路から狭い道路へ進んだと思つたとたん、かすかに女の悲鳴に似た声が聞えると同時に車の左から右へ一回相当大きくバウンドするシヨツクを感じた、その声やシヨツクを感じたとたん、デコボコの道路でもないのにおかしい、女を轢いたのではなかろうかと思つたので、もう一度女の声を確かめようと思い、その時進行中で、車内でラジオやヒーター・クリーナーが作動しており、やかましかつたので、左手でラジオのスイツチを切り、右手で運転台横のサイドガラスを三分の一位下へ降し、右頬を窓のガラスにつけ、耳を外に向けて女の声を確かめたが、全然声が聞えなかつたので、道行方向の右側にある山本精米場を過ぎた頃、自分の聞き違いだつたろうかと思い窓のガラスを締め、停車もせず、そのまま運転を続けた、然し、その運転中、さつきのシヨツクは車の左側でも前輪だつたと思うし、声が車の後方で聞えたが、風を切つて進行中の車のことだから、或いは声が車の前方でしたのが後方からのように聞えたのかも知れない、ひよつとしたら女を轢いたのでなかろうかとも思ったが、イヤイヤそうでない、こんな山間部の山道を夜明けに早く今まで通った人を見たこともないし、又あそこを通る時、ライトの光で前方を見ながら運転して来たが、人らしい者を一人も見なかつたから、あれは、きつと自分の耳の聞き違いだろうと何度か自分の胸に言い聞かせながら、前方へ車を進めた、そのようなシヨツクがあつた時、横の助手台に座つていた社長の倉畑継治が、どのようにしていたか、女の声に気を取られ、はつきりした記憶がない、社長は女の声や、シヨツクのことを何も言わず黙つていたので、平素社長が交通事故を起すなと喧ましく言つている関係もあり、社長に言わない方がよいと思い、黙つていた、社長は六三、四才で自動車にかけては全くの素人であり、運転上のことについては、すべて自分へ任せ切りだつたし、且つ左の目が全く見えなく、右目も悪いので眼鏡をかけている、助手席に座つていても運転手や助手のように気をつけていなかつたので分らなかつたのだろうと思う、社長と車の中で最初に軽油の話をしたのは事故現場を過ぎて杉本地区へ、さしかかつた頃だつたと思うが、その前日自分から社長に話して当日軽油を買うことにしてあつた、もう少し行くと国道八号線の浜岡ガソリンスタンドが、すぐ見える等と話して、その頃は、女の声を聞いたことやシヨツクを感じたこと等は思い出さなくなり、軽油を買うことのみ考えていた、警察へ出頭して被害者が交通事故で死んだと聞き、同女は間違いなく自分の車に用事があつて来たのだ、今朝の女の声やシヨツクは被害者に間違いないと直感した」旨詳細且つ具体的に本件事故当時の模様について述べている(一、一二三丁から一、一三一丁)。次いで翌一月二八日、司法警察員松井敏勝作成の実況見分調書記載の如き実況見分が行われ、本件当日被告人が運転した、その貨物自動車に枕木百本を積み、被告人及び倉畑継治の外警察官四名計六名が乗り込み、当日被告人が走行した通りのコースを通過したが、本件現場附近に至つた時、被告人は右地点で、かすかな女の悲嗚を聞き、シヨツクを感じたので、ラジオのスイツチを切り、右のドアガラスを三分の一位開け、再び締めた旨指示説明し、更に右地点で藁人形を右自動車で轢く実験をしたところ、被告人は、そのシヨツクは本件当時のシヨツクより僅かに強かつた旨述べている(三二二丁から三二三丁)。同日附の前記浜屋に対する供述調書(一、一四一丁表裏)、同月二九日附(一、一四八丁から一、一五四丁)、同月三〇日附(一、一五六丁裏から一、一六一丁)の検察官に対する各供述調書、及び同年二月一日附及び同月八日附の検察官に対する各供述調書(右二通は何れも当審において提出、取調)においても、被告人は右自白を維持しているが、右各調書を一貫して、被告人が、本件事故についての同人の認識が未必的なものであることを固執していることは注目されればならない。

(四)  本件当時被告人の運転する貨物自動車に同乗していた同人の雇主倉畑継治は、その司法警察員(一七〇丁裏から一七一丁裏)、及び検察官(一七六丁)に対する各供述調書並に原審(九二五丁から九二七丁)及び当審における各証言を通じて、本件現場附近で女の声を聞いたり、シヨツクを感じたりしたことはなく、又被告人がラジオのスイツチを切つて、運転席の窓を開けた事実もないと述べている(もつとも昭和四〇年一月二〇日附司法警察員調書においては、大浦部落の下手の発電所の辺りで対向して来る小型自動車とすれ違つたこと、及び車内で被告人とガソリンを買う相談をし、ガソリンスタンドに寄つて値段の交渉をしたことのみに触れ本件事故については何も述べていない)。同人の原審(九三八丁裏から九三九丁、九七〇丁)及び当審における証言、及び診断書(記録一、〇〇五丁)によれば、同人は老人の為視力は衰えているが、眼鏡をかければ通常の視力を保持し得るし、且つ聴力の方は正常であるから、若し被告人の自白の如く、同人が本件事故を覚知して、ラジオのスイツチを切り、ドアのガラスを三分の一位開けて外界の音に耳を傾けたとすれば、隣席にいた右倉畑が被告人の右挙動に気付かなかったこと、又被告人が覚知した女の声及びシヨツクを右倉畑が全然感じなかつたと言うことは、通常あり得ないところである。同人の当審における証言によれば、同人は本件当日、高山市で本件事故の起つたことを知り、ただちに滑川に戻り、ハイヤーで大浦部落を訪ねようとしたところ、警察官が右ハイヤーに便乗し、取調の為、そのまま警察へ同行したと言うのであつて当時既に被告人は逮捕されて警察に居り、同人と打合する暇はなかつたことが明らかである。従つて右倉畑の前記各供述が被告人を庇い、或いは自己自身の責任を免れる為の虚偽の申立であると断ずることはできない。若し右倉畑が、被害者の声を聞いたり、シヨツクを感じ、又その際の被告人自白の如き同人の挙動に気付いたとすれば、それにもかかわらず、その後間もなく被告人と軽油購入の相談をしたり、実際に国道八号線に出たところでガソリンスタンドに立ち寄つて、軽油購入の交渉を為す如き行動に出ることも通常考えられないところである。右スタンドで軽油を購入することは、前記被告人の各供述調書(一、一一八丁等)及び右倉畑の昭和四〇年一月二八日附検察官調書(当審において提出取調べられた分)によれば、その前日被告人との間に打合済みであったことが認められるから、本件事故を隠弊する為の作為的な行動とも考えられない。

(五)  被害者の死因についての鑑定書の作成者である井上剛は、原審において、一般論から言えば、自動車の速度が遅ければ遅い程、人等を轢いた場合、シヨツクを感じにくい、本件の場合はシヨツクを感じにくいケースだと言える、シヨツクを感じても決しておかしくないけれども、感じないと言つたからとて、嘘を言つているとも言えない、車が非常に大きく、重量も非常に大で、然もゆつくりと進んだ場合は全然シヨツクを感じない旨証言している(五八四丁表裏)。前出の被告人の昭和四〇年一月二七日附司法警察調書によれば、本件当日被告人は大型貨物自動車に枕木一九九本を積んで本件現場を時速約一五粁で通過したと言うのである(一、一一六丁裏、一、一二三丁)。当審において弁護人の提出した貨物通知書謄本によれば枕木一九九本の重量は一〇・九五二屯であり、昭和四〇年一月二八日附司法警察員杉村利一作成の実況見分調書によれば本件大型貨物自動車の自重は四・五六〇屯であるから(三四〇丁)、本件当日の右貨物自動車の重量は積荷及び自重合計一五・五一二屯に達していたことになる。

従つて前記井上剛の証言に徴すると、本件現場を通過した際全然シヨツクを感じなかつたと言う被告人の原審及び当審公判における供述並に同旨の倉畑継治の前記各供述は必ずしも、これを虚偽のものと断ずることはできない。前記昭和四〇年一月二八日附司法警察員松井敏勝作成の実況見分調書によれば、本件貨物自動車で藁人形を轢いたところ相当なシヨツクを感じたと言うのであるが、前述の如く、右実況見分の際は、枕木は本件当時の約半数の百本を積んだに過ぎないから積荷の重量は当時の約半分、即ち約五・四七六屯に過ぎない。もつとも同乗人員は当時の二名に対し右実況見分時には四名で二名多いけれども、このことによる重量の差異は積荷量の右差異に比すれば問題にならないものである。従って右実況見分における藁人形を使用しての実験は、本件当時と甚しく異なつた条件の下に行われたものであるから、その結果を以て直ちに本件を律するわけにはいかない。又右実況見分調書によれば、右貨物自動車内でウインドクリーナー、ラジオ、カーヒーターを作動し、車の窓を閉め切つて、外部で大声を発したところ、かすかに聞える程度であつたと言うのであるけれども(三二三丁)、被害者の呼び声、もしくは轢かれた際の悲鳴が、どの程度の音量であつたか明らかでなく、又意識して耳を傾けている場合と、被告人の本件の場合の如く被害者の存在を全く予期していなかつた場合とでは、注意力の集中の度合も甚しく異なるから、右実験の結果も、直ちにこれを本件に当てはめることは妥当でない。現に倉畑継治は原審証言において、山から右貨物自動車に人夫を乗せて来る時、エンジンの音が大きいので、荷の上に立つて呼んでも車内に聞えず、運転台の屋根をドンドン叩かなければならない程である旨述べている(九二四丁)。

(六)  原審の証人として、本件被害者を轢いたのは、滑川市杉本方面から本件現場に向つて上つて来た自動車で、右自動車は被害者を轢くと間もなく、その場からバツクし、右現場から、少し下手の神社の辺りで方向転換して杉本方面に下降して行つた、即ち被害者を轢いたのは、被告人の車ではない趣旨の供述をした山本キミは(八三〇丁から八五〇丁裏)、右証言を為す前に、証人尋問の場所に当てられた大浦公民館で、本件の捜査に当つた北村敏正警察官から、「人のことはどうなってもいいではないか、お前の家がよくなればいいではないか、馬鹿な証言をしたら仇を取つてやる」旨言われたと当審において証言し、同じく当審証人山本ミサイは、原審の前記公民館での証人取調の際、右山本キミが証人尋問を受ける為右公民館に入つて行つたところ右公民館前で右北村警察官は、右山本ミサイに対しても「山本のオツカア(山本キミのこと)が証言しているが、あれは作り事だ偽証罪でやつてやる」と言つたと証言している。右両名の当審における右各証言は、殊更虚偽の申立をしたものとは認められず、従つてそのような事実があつたものと認められる。もとより北村警察官のこのような言動は、捜査官として、あるまじきものと言わねばならない。記録によれば、本件は当時二〇才の未婚の女性である被害者が真冬の早朝、暗闇の中を下着のまま家を飛び出し、はだしで被告人の運転する貨物自動車を追いかけ、結局右自動車に轢かれて路上に死体として横たわつて発見されたと言う一見猟奇的な事件で、然も右自動車に同乗していた倉畑継治と被害者との間には、かねて肉体関係があつたと従業員の間に噂され、被告人と右倉畑とは叔父、甥の間柄であり、加うるに何故に被害者が厳寒の暗闇の中を被告人の自動車を下着のまま、はだしになつてまで追いかけたか未だにその原因が判然としないのである。前記の被告人の原審公判における供述及び浜屋裕次郎の原審における証言にも現われている如く、当初滑川警察署は情痴による三角関係のもつれからの殺人事件ではないかとの疑いも懐いて捜査を進めた形跡がある。ところが捜査を進めた結果、右の如き殺人の容疑は問題にならぬのみならず、被告人が被害者を轢いたことについて、業務上の過失があつたことの立証すら困難な状況に立至つた為、当初の予断が大きかつただけに本件捜査に当つた滑川署署員の間に、次第に焦燥の気持が強まつて来たのではないかと推測される。そしてこのことが北村警察官の前記の不謹慎な言動、に現われ、更に後述の如く浜屋裕次郎警察官の被告人に対する取調の行き過ぎを惹起したものと認められる。

(七)  被告人が、本件事故について認識があつた旨を自白するに至る経過は前記(三)において述べた通りであるが、昭和四〇年一月二三日の裁判官による勾留質問において初めて自白するまでは、被告人は、浜屋警察官に対して、右認識があつたことを否認しながら、なお、その都度「その点についてはもう少し考えさせて下さい」と述べている。この点に関する限りでは、被告人が原審及び当審公判において述べている如く(前記(一)参照)、浜屋警察官の強制誘導による追及に対して抵抗し続けたが、遂に屈服して心ならずも虚偽の自白を余儀なくされた事実を物語るものとも解されるし、又浜屋裕次郎が原審及び当審において証言している如く(前記(二)参照)、被告人が良心の苛責に耐えかねて遂に真実を自白するに至つたとも解される。

然しながら前記(四)記載の本件当時の同乗者の倉畑継治の供述が、被告人の原審及び当審公判における供述と合致すること、前記(五)記載の如く当時被告人が運転した貨物自動車の重量、速度から考えて、被害者を轢いた際、被告人が被害者の悲鳴を聞かず、シヨツクを感じなかつたとしても必ずしも異とするに足らず殊にシヨツクを感じなかつた点についてはむしろ、その方が自然であると認められること、前記(一)記載の如く、被告人の原審及び当審公判における供述によれば、被告人は裁判官による勾留質問までは浜屋裕次郎に対し、本件事故について認識があつたことは否認していたが、自白すれば、釈放してやるとの同人の甘言に欺かれ、勾留質問において自白したところ、約束に反し釈放されなかつたので、抗議し、前の自白を翻したが取上げられず、結局諦めて前の自白を維持した、又浜屋裕次郎は被告人に対する取調中、「井上博士の鑑定書によれば被害者を轢いた車と被告人の車が一致する又被告人の車が被害者を轢くのを目撃した証人もある」と言い、更に取調室の床に寝転んで「お前は、こういう風にして轢いたんだ」と手で胸をなでて大声で怒鳴り、被告人の足を蹴つたと言うのであるが、前記(三)記載の如く、被告人の浜屋裕次郎に対する供述調書の日附、記載内容は被告人の右供述に合致し、又前記(二)記載の如く、浜屋裕次郎は原審における証言において、被告人の取調に当つて、取調室の床に横になつて被告人に説明した事実のあることを認め、井上博士の鑑定書、及び本件事故の目撃者の有無の件については、そのようなことを言つたか否か記憶がないと述べて、必ずしも否定しておらず、従つて以上の点に関しては被告人の原審及び当審公判における供述は、或る程度根拠のあるものと認められること、被告人は結局は本件事故について認識があつた旨自白しているけれども、その際でも、常に、その認識が未必的なものであつたことを強調しており、事故後間もなく雇主と軽油購入の相談を為し、その足でガソリンスタンドに立寄つて、その交渉を為しているが、その時には本件事故のことは念頭になかつた旨述べており、その自白自体によつても、被告人の本件事故の認識の程度は極めて稀薄で、いわゆる認識ある過失と紙一重の微妙なものであり、従つて取調の方法、態度の如何によつては、何れの側にも比較的容易に誘導し得る可能性が強いこと、被告人の取調に当つて取調室に横たわって説明したことは右浜屋自身前記の如く認めているのであるが、たとい同人の言う如く、右取調室は板の間とは言え、スリツパで出入するところで毎日掃除している所であるとは言つても、そこに横たわつて説明すると言うことは何か異常なものを感じさせ、前記(六)記載の如き、本件捜査に当つた滑川警察署署員の間に焦燥の気持が漂つていたと推測されることと相俟つて、被告人の主張する如く、右浜屋の取調態度が強圧的であつたことを疑わせるものがあること、被告人が一月二三日裁判官の勾留質問に対して初めて自白したにもかかわらず、警察もしくは検察庁において、ただちに自白調書を作成せず同月二七日まで放置したことについて、右浜屋は、前記の如く、警察は組織体である関係上、上司の指示を待った旨説明しているけれども、それまで否認していた被告人が勾留質問において自白した場合、機を失せず、ただちに捜査機関において詳細な自白調書を作成するのが、むしろ通常であると考えられるのであつて右浜屋の説明は、この点に関する疑問に十分答えるものではないこと、特に次の事実、即ち捜査官に対して否認していた被疑者が、通常、事件に対して深い知識も有せず、従つて強く被疑者の自白を追及することをしない勾留係裁判官の勾留質問において自白することは、むしろ稀有な事例に属するのであるが、これに就て右浜屋は前記の如く、被告人は右浜屋に真実を述べようと思つたが、勾留質問に出かける直前に右浜屋に会わなかつたので、裁判所へ行つて裁判官に話して来た旨述べたと思うと証言している、然し当審において提出された当庁昭和四二年(う)第七号、被告人石黒松治に対する公職選挙法違反被告事件の記録の原審第一一回公判における証人浜屋裕次郎の供述調書中には「被告人石黒松治は、逮捕当初は覚えがないと否認していたが、同人は裁判官の勾留質問から帰つて来て、右浜屋に対して、向う(裁判所の意)へ行つて、みんな話して来た、実は朝あんた(右浜屋の意)に話そうと思つたけれども、早かつたので会うことができなかつたので、そのまますぐ富山(裁判所の意)へ行つたと述べた」旨の記載がある、即ち右事件においても、被疑者は捜査官に自白する前に裁判官の勾留質問の段階で初めて自白すると言う稀有な事態が生じたのであり、然も、その経緯について、右浜屋は本件の場合とほとんど符節を合せたような説明を為しているのである、これは、本件被告人の取調に当つて強制誘導を為したことはないとの右浜屋の原審及び当審における証言の真実性について深刻な疑問を投げかけるものであること、

以上の諸点を総合考察すると、被告人の本件事故当時、これについて認識があつた旨の前記自白調書は取調に当つた警察官浜屋裕次郎の強制誘導によるもの、もしくは、被告人が、なおその影響下にあつた際作成されたもので、任意性を欠き、真実に反するものであるとの疑いが多分に存すると言わざるを得ない。被告人の原審及び当審における供述中には、記憶違い、もしくは錯誤による真実に反する部分、或いは誇張した部分があり、又被害者を轢殺した事実を隠蔽する為に意識的に虚偽を申立てたと認められる節もあつて、全面的に信用することはできないけれども、右の点を考慮に入れても、なお右疑惑を払拭するには足りない。

二、以上の通りであつて、本件事故を被告人において認識していた旨の被告人の前記自白調書は、任意性に疑いがあり証拠能力を欠き、又は証明力も乏しく、他に右事実を認めるに足る証拠はない。従つて原判決は、この点において事実を誤認したと言うべきであり、右誤認は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、論旨は理由があり、原判決は破棄さるべきである。そこで、その他の控訴趣意に対する判断を省略して刑訴法三八二条、三九七条一項により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書により、当裁判所において更に判決する。

三、本件公訴事実は

「被告人は、

第一、昭和四〇年一月二〇日午前五時五〇分頃、滑川市上大浦二、四四六番地道路において、大型貨物自動車(岐一な一六五一号)を運転中、通行人岩田澄子(当二〇年)を右第七、八、九肋骨骨折及び右肺損傷などにより瀕死の重傷を負わせる交通事故を起したのに、直ちにその運転を停止して同女を救護する等法律に定める必要な措置を講じなかつた。

第二、前記日時場所において、前記交通事故を起したのに、その事故の発生の日時、場所等法律の定める所定の事項を直ちに、もよりの警察署の警察官に報告しなかつた ものである」

と言うのであるが、右救護義務違反、及び報告義務違反の各罪が成立するについては、自動車運転者等が右交通事故の発生を認識していたことを必要とするところ、前記認定の如く、被告人に右認識があつたことについては証明不十分であるから、刑訴法三三六条により、被告人に対して無罪の言渡をすることとして、主文の通り判決する。

(裁判官 斎藤寿 河合長志 石田恒良)

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